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複合性の見えざる危機に弁護士としてどう立ち向かうか(1)

――郡山市,いわき市訪問の感想――

4月2日,3人の弁護士と一緒に,福島県を訪問してきた。

ようやく来られた,の思いがあった。災害復興支援の名のもとに弁護士として何ができるのか,何をしなければならないのか,そのためにどういうように新潟県弁護士会の仲間たちと力を合わせていくのか,それを知るためには現地に行って現地でなければわからないことを感じ取ってくる必要があると思ってきた。特に,原発(福島第一原子力発電所。通称「1F」)の近くの町がどういう状況に置かれているのか知りたかった。当初は交通機関の途絶が,その後は立て込んだ日程が,それを阻んでいた。

当日,午前中に郡山を訪れて,任期終了直後の福島県弁護士会前年度会長や就任直後の今年度副会長との間で新潟会と福島会との連携の方法について情報や意見を交換し,いわき市に着いたのは午後1時前。まず目についた地元商工会議所を飛び込み的に訪ねて話を聞き,その後アポをお願いしていた地元の弁護士や,折から法律相談支援のために訪れていた東京の弁護士と合流,情報交換の後,一緒に四倉地区の避難所を訪れて避難者と膝を突き合わせて話をし,終了後,再び各弁護士間で,今後の支援体制の在り方について意見交換し,午後8時ころ解散という行程だった。意見交換の中身については別途作成された報告書に委ねるとして,この稿では,私がこの訪問を通じて感じたことを随想的にまとめておきたい。

郡山市もそうだったが,いわき市に入っても,車窓から見る限り,建物や道路などの損害は目を見張るほどのものではなかった。歩道がめちゃくちゃになっていたところを見て誰かが「これはひどい」と言ったが,中越地震の際に土管が液状化現象のために1メートルほど地上に飛び出していた長岡市内やビルの階層がつぶれていた川口町,中越沖地震の際にお寺の本堂の屋根が地面に落下していた柏崎市内の惨状などを見てきた私には,それほどひどいというようには感じられなかった。店も,ガソリンスタンドは別にして平常に営業しているようだったし,知らぬ者の目で市街地を見る限り,市民生活は平穏に戻りつつあるように見えた。(無論TVの画面に連日惨状が映し出された海岸部は格別なのだろうが,それを見に行くのを目的としていなかったので,避難場所へ赴く途次に海岸道路で津波の爪痕を垣間見た程度にすぎない。)

だが,市民生活が平常に戻りつつあるというのは,私の誤解にすぎなかった。見えざる危機が,それも多重に,いわき市内,さらにはもっとひろく,1Fの20キロ圏内の市町村やその北側の相馬を含めた浜通り(浜通りというのは,福島県の東側,阿武隈高地の尾根線から太平洋沿岸にかけての地域。福島県は,中央の中通り,西の会津というように三分される)の全般,さらには福島県全部を覆いつつあったようなのである。

見えざる危機の第一は,いうまでもなく,放射性物質の飛散の問題である。連日報道されているとおりであり,多言を要しないだろう。いわき市の一部,北側の地域が,1Fから30キロ圏内に入る。ちなみに,同市は広大な面積を持つ自治体で,南北約40キロの長さを持つ。有名な勿来の関は市の最南端で,1Fからは直線で約65キロの距離にある。

見えざる危機の第二は,人が流出して帰って来ない,という状況である。いわき市内のガソリンスタンドの多くが閉店していて,たまに開いているところには車の行列ができていたが,それは,ガソリンが入ってこないせいではないという。むしろ,スタンドの従業員が欠乏しているせいなのだそうである。同様のことはコンビニエンスストアでも起きているとのことで,たしかに,休業しているコンビニも散見された。人が流出してしまったもともとの原因の一つはライフラインの復旧遅れで,上下水道などがまだ3分の1は使用不可の状況だという。そして,人の流出に拍車をかけ,戻ってくることを妨げているのは,1Fの爆発事故だ。いわき市は避難指示の対象地域(20キロ圏内)にはまったく含まれていないが,それにも拘わらず,放射能汚染への恐怖が,故郷へ戻りたい思いへの強い反対動機となっている。人の流出による経営危機,ガソリンスタンドやコンビニの休業はその象徴的事象だが,多くの地元企業が同じ危機に曝されている。

そして,放射能の飛散への恐怖は,地元以外の人たちの心にも吹き付けて,風評被害に形を変えて現地を直撃している。これが見えざる危機の第三である。農水産物はもちろん,工業製品までも,いわき市産,浜通り産,福島産というだけで忌み嫌われるという。それどころか,外国では,日本産というだけで放射能汚染のイメージで拒否反応が起きるとの報道もある。

さらに,情報の不確かさ,伝達システムの不備ということも,考えようによっては,見えざる危機といえる。特に原発関係の情報は,当初から東京電力や政府,原子力安全保安院による情報開示方法の拙劣さがあり,国民の間には,これら原情報を把握している者への不信感が漂っている。この「情報隔離」は,特に,当事者にとっては切実である。避難民の中には,「自分が何キロ圏内なのかもよくわからない」という人もいた。避難所の人たちは新聞やテレビで情報を集めているようだが,それ以上積極的に情報を伝達するシステムは(一部には自治組織が確立している避難所もあるようだが),一般的にはできあがっていないようだ。私たちに先行して午前中に別の避難所を回った弁護士が言っていたことだが,「何か困りごとはありませんか」と声をかけたところ,(震災の後に)「そういう声をかけてくれたのはあなた方が初めてだ」と言われたという。避難民はパソコンも持っておらず,情報弱者という要素がある。

以上を見えざる危機の第四とすれば,さらに,先行きの見通しの不透明さがその第五ということになろうか。1Fから20キロ圏内は避難指示,その先30キロ圏内までは屋内退避との扱いがこの先どう変わっていくのか,それはどのような基準で,いつ変わるのか。故郷にいつか戻れるのか,それとも故郷はゴーストタウンになってしまうのか。現に,多くの町村役場では,その根拠地を会津や中通りの市町内へ移転している。

多くの見えざる危機は,さらに,被災者の心の中に作用して,最後の,そして最大の見えざる危機を形成している。それは,恐怖,不安,落胆などの形をとるだろう。一般に言われる震災被災者の心理状態の変化,通常は茫然自失期が過ぎるとハネムーン期を迎え,その後幻滅期を経て再生期に向かうとされるが,私が原発近くの町村から避難している人たちと話してみて受けた印象は,茫然自失期が遷延しているという感じだった。

避難民の落胆に対しては,まだ救いが見えない。

こうした多重の見えざる危機は,複合汚染のように深化し,拡散していく恐れが強い。

今,私たち弁護士に与えられている使命は,被災者に寄り添い,このもろもろの見えざる危機に立ち向かうことではないだろうか。

それでは,この危機と対決するために,弁護士は,具体的には何ができるのだろう。何もかもできるわけではない。他の専門家にしかできないこともあるし,待つ以外にない分野もある。私たちは,法律家でしかない。たとえば,1Fの危機の物理的な意味における収束は,国や東電などの当事者,援助する国際機関や諸外国,専門家などにゆだねるしかない。これ以上の放射性物質の飛散の防止については,祈る思いを被災者と共有して待つ以外にない。被災地域のインフラの復旧についても,主としては行政が頑張る分野である。

だが,それ以外の危機についてはやれることがたくさんあるのではなかろうか。

弁護士は,実務法曹としては,プロ中のプロである。人の悩み事を聞き取り,その思いを把握し,対外的に表現することなどは得意中の得意分野である。弁護士という職業人への世間の信頼というものも過小評価すべきではない。

情報を集積し,先を見通し,被災者の生活の再建にとって何が重要なのか問題を整理し,対外的に発表していく,また,被災者と接して手助けしていこうとしている人たちとスクラムを組み,ともに力を補い合いながら被災者に対する適切な助言をしていく……等々,弁護士・弁護士会にできることは決して少なくもないし,小さくもない。

また,日本は,法の支配する国である。「復興のための大胆かつ適切な施策」は,憲法の理念に沿って,立法を通じて行われなければならない。法の支配の担い手として活動を積み重ねてきた弁護士,弁護士会は,今まさに復興支援のための政策提言の主体として機能すべきときを迎えているのではないのか。

そして,そのためには,被災者の声をきちんと聞き届けなければならない。そうでなければ,政策提言といっても,実務的な裏付けのない机上論になりかねないし,なによりも,それが怠られてしまったならば,被災者の多くが救われないことになり,先に述べた最大の危機,被災者の心の中の危機が放置され,時とともに深刻化してしまう。

私たちは,被災者の中に私たちの側から入り込んで行って,積極的にその悩みに向き合うことで,見えざる危機を相手に,被災者と共闘していくことができるはずである。そこから得られた情報をもとに,国やその他の者を相手に,場合によって助力を求め,連携をし,意見を出し,本当に必要なら対決をしてでも被災者を守っていく,それが私たち弁護士に与えられている使命だと思う。風評被害との対決という意味では,「その他の者」には,マスメディアはもちろん,場合によっては国民も入ると思ったほうがよい。もしかしたら,国際機関や外国の人たちを相手に発信しなければならない場面も出てくるかもしれない。

従来型の,ブースを開き,無料相談電話を設置して人を配置し,相談者側からのアプローチを座して待つ,という,いわば「求めよ,されば与えん」式の法律相談スタイルは(それ自体として価値のある活動であることは否定しえないが),この危機への対処としては,限界があるように思われる。被災者の中には,「自分の悩みは法律相談で解決するような悩みではない」,と思っている人は少なくないはずだし,「弁護士に何をどうやって相談したらいいのかさえ考えつかない」,「弁護士に相談しても仕方がない」という人も多いはずである。東北人特有の遠慮深さも相まって,本当に悩んでいる人が沈黙してしまうという傾向も看取できる。

私たちは,今こそ,被災者の懐に飛び込んでいくべきなのだ。同じ高さで視線を合わせ,被災者に言葉をかけて気持ちを和らげ,その悩みに真摯に耳を傾けるべきなのではないかと思う。

それこそが,私が現地訪問を通じて感じた強い思いである。