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18 思考を止めない

このシリーズでは,プラス思考の技術,方法論を検討している。
プラス思考の対極にあるのがマイナス思考であるが,それはどのような「思考」をいうのだろうか。いや,そもそもそれは「思考」の名に値する営みなのだろうか。
これまでのこのシリーズを読破してきた読者は既にお気づきだろうが,著者は,物事を前向きに捉えながら生きていこうということの基盤には,実は「熟慮」,あるいは「省察」というものがあるという考えを前提にしてきている。つまり,この問題で重要な意味をもつのは,考える姿勢,方法,筋道といったものであり,まさにプラス「思考」の技術が問題なのだ。
他方,マイナス思考というものが,熟慮の結果出てくるものかという点については,多分に疑問がある。
むろん将来予測を行うに際し,科学的根拠をもった検討の結果悲観的な結論を導くということはありうるだろう。しかし,いわゆるマイナス思考というものは,多くの場合,そのような深い省察の結実というよりも,むしろ憂鬱的気分の支配を意味するように思われる。つまり,マイナス「思考」というけれども,仔細に観察してみれば,それは「思考」の態をなしておらず,実際には,単なるマイナス「志向」なのではあるまいかと。
流れる水は腐らないという。反面,淀む水は腐敗し易い。流れない思考,停止した思考というものは,気分を腐らせ,マイナス志向を生み出すということはないだろうか。
この連載の第3回(tomorrow is another day.)で,悩みそうになったら寝ることにするという生活の知恵に賛同した。それは,眠い時に物を考えてもいい知恵は出てこないので,それくらいなら就眠したらいいという趣旨であった。これを思考停止の勧めというように理解される向きもあったかもしれない。
しかし,それは,そこでも指摘したとおり,あくまで不作為としてのマイナスエネルギー投入防止ということに限定しての戦術であり,寝て起きて腹いっぱいになって心身が元気になるまでのつなぎのものであるから,思考停止というよりは思考中断の勧めというほうが当たっている。人間の心身には疲労ということがあるし,精神的な負荷によって影響されることは不可避であるから,悪条件下では思考を中断して休息したほうがいい場合もあるということを指摘しただけである。第3回の末尾に記載したとおり,心身が元気になったら,「なるようになる」から「やるべきことをやる」という積極思考に転換すべきなのだ。
思考停止は,上記のような,休息のための思考中断とは異なる。思考停止とは,人間としてのありようの探求をやめることである。逆境からは逃避するという形をとり,それは,最終的に自己の正当化を不当に図るという形で収束する。そのために,解決策は場当たり的であり,その場しのぎに過ぎない。すなわち,逆境における思考停止こそは,マイナス思考の元凶というべきなのではないかと思う。
逆境にあって思考停止を起こさないためにはどうすべきか。
一つには,普段から物事を良く考えておくことであろう。思考習慣を身につけるということだ。性能の良い発電・送電装置を準備しておけば停電しにくくなる。
もう一つ忘れてはならないのは,停電時のための思考用バックアップバッテリーを準備しておくことだ。たとえば,逆境用に普段から育てておくプライドは,何もかも嫌になりそうになったときに,その心を支え,思考を続けさせるために働くであろう。
普段から物事を良く考えるということのためには,たとえば読書習慣が必要であろう。また,同じ読書をするにしても,それがたとえ権威者の書物であっても,結論だけを鵜呑みにするのでは,思考ということに結びつかない。思考ということは自分の心を見つめなおすということであり,他人の思考は外部に存在するのだから,それを直輸入するだけでは思考とはいえない。他人の思考については,批判的に見て自分で消化するという姿勢が肝要である。
ここでひとつ注意しておきたいのは,思考することが習慣であるのと同様,思考停止も習慣なのだということである。そのような間違った習慣に陥らないように注意する必要がある。次回は,思考停止の悪例をあげつらう予定である。
さて,思考停止は一見楽そうに思えるので,ついついそうなってしまいがちなのだが,よくいわれるように,足を止めて長い間棒立ちになっているのと,同じ時間歩き続けるのとでは,前者のほうが疲労度が大きい。思考停止は,本当はそんなに楽なことではないということも知っておいたほうがいい。気の持ちようということでいうなら,思考し続けるほうがよほど楽なのである。
このシリーズは,実は,読者に何が楽な生き方なのかを知ってほしいという狙いもある。多少遠回りで面倒臭そうに見えるけれども,思考を続け,その中で他者の人生を思うことのほうが実はずっと楽な処世なのだということを,このシリーズ完了までに,読者にはぜひ理解していただきたいとも願っているのである。

明治5年の太政官布告

ちょっと長くなるが、太政官布告を貼りつける。

明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)
(明治五年十一月九日太政官布告第三百三十七号)
 今般改暦ノ儀別紙 詔書ノ通被 仰出候条此旨相達候事
(別紙)
詔書写
朕惟フニ我邦通行ノ暦タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ終ニ推歩ノ差ヲ生スルニ至ル殊ニ中下段ニ掲ル所ノ如キハ率子妄誕無稽ニ属シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス盖シ太陽暦ハ太陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス之ヲ太陰暦ニ比スレハ最モ精密ニシテ其便不便モ固リ論ヲ俟タサルナリ依テ自今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ斯旨ヲ体セヨ
  明治五年壬申十一月九日
一 今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦御頒行相成侯ニ付来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事
 但新暦鏤板出来次第頒布候事
一 一ケ年三百六十五日十二ケ月ニ分チ四年毎ニ一日ノ閏ヲ置候事
一 時刻ノ儀是迄昼夜長短ニ随ヒ十二時ニ相分チ候処今後改テ時辰儀時刻昼夜平分二十四時ニ定メ子刻ヨリ午刻迄ニ十二時ニ分チ午前幾時ト称シ午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ午後幾時ト称候事
一 時鐘ノ儀来ル一月一日ヨリ右時刻ニ可改事
 但是迄時辰儀時刻ヲ何字ト唱来候処以後何時ト可称事
一 諸祭典等旧暦月日ヲ新暦月日ニ相当シ施行可致事
 太陽暦 一年三百六十五日 閏年三百六十六日四年毎ニ置之
(以下、何月が何日まであるかということや、「時刻表」が書かれている)

大意、「日本で通用している太陰暦は、月の朔望をもって1か月とし、太陽との軌道に合わせるために、2~3年のうちに必ず閏月を置かなくてはならないが、閏月の前後の時期に季節が早すぎたり遅すぎたりしてしまいには大きな差を生ずる。(その後の「中下段に掲げる所」の意味がよくわからない)太陰暦は適用場面によってはまったく根拠がないといえるもので、人知の進歩を妨げるものだ。それに引き換え太陽暦は4年に1回閏日を置くだけで7000年に1日しか狂いを生じないほどすばらしいものだから、どちらが優れているかは、論をまたない」というようなことが書かれている。
遮二無二太陽暦を推し進めようとして、焦って余計なことまで言い過ぎている、という印象がある。「7000年に1日しか狂いを生じない」は、仮にグレゴリオ暦であっても誤りだが、ましてこの太政官布告は4年に1日としか決めていないからいわばユリウス暦の宣明なので、これだと以前検討したとおり、128年に1日ほどの狂いを生ずる。

17 逆境の夜に

これまでのシリーズでは,主としてプラス思考用アイテムの側からアプローチしてきたが,今回は少し趣向を変えて,場面で考えてみようと思う。
逆境の夜,人はどうすべきか。
ここでの「逆境」は,主に自己評価と他人評価とのギャップ,それも前者に比べて後者が低いという場合に関わるそれを念頭においている。
逆境はいつなんどき訪れるかわからないが,はっきりしていることは,どんな逆境も必ず乗り越えていかなければならないということである。
そのためにどう振る舞うべきなのか。そうしたとき,周囲の人たちは,自分の振る舞いを見ている。それゆえそれは,真価を発揮すべき最大の機会なのだ。
逆境の夜には,自分の心を見つめ直したらいい。過去どんなふうに社会の役に立ち,そのことが自分の心の中にどう反映しているか。将来に向けてどんな希望や理想を胸に抱き,その思いに恥じないで生きていく決意があるか。

前回,プライドの言わば「種苗」として「序列」に基盤を置くそれと「社会への役立ち」に基盤を置くそれとの二種類があり,そのうちで自分を支えるためには,後者をこそ選ぶべきだという趣旨を論じた。
種苗というたとえを用いたのは,プライドについては「育てる」過程が必要だという含意もある。自分を支えるためのプライドである。ある日突然心に浮かび,直ちに完品となるわけではない。
こうしたプライドは,成功体験によって育つ面がある。すなわち,社会(広義・前回指摘したとおり,職業だけでなく,家庭やコミュニティなど,自分以外の人との関わり全般を意味する用法である)のために役立ったという現実の経験が,このやり方で生きて行けるのだという確信・自信をもたらし,それを続けようとする決意が自己の生き方の正当付け,自己評価につながり,やがては自分の尊厳を保とうという思いに育つ。それは日々の積み重ねの結実なのだ。
過去においてそうしたことを余り意識しなかったからといって心配する必要はない。日常的な社会との関わり,役立ちの成功体験は,たとえそれと明確に意識してこなかったとしても,プライドを静かに育ててくれてきているはずだからである。
他方,成功体験のような過去の「実績」ばかりでなく,将来への思い,たとえば「希望」とか「理想」とかいったものも,プライドを育てる役割を担う。そして,こちらについては,むしろあえて意識して,それらをプライド育成のために用いるということを考えるべきだと思う。

たとえ今が逆境であるとしても,いや,むしろ逆境であるがゆえに,心に誇りをもち,正々堂々と胸を張って生きていこうとする姿勢,それこそが,「プライドによって自分を支える」ということなのだろうと思う。
「実るほど,頭を垂れる稲穂かな」という諺があるが,それと同じくらいに大事なことは,実っていない時期,卑屈になることなく,頭を垂れずに生きていくことなのだといってもいい。
逆境のときにプライドで自分を支えようとする態度は,同時に,プライドをいっそう強いものに育てるという役割も果たす。ある種の植物が,その実りのためには陽光や慈雨だけではなく寒風をも必要とするように,プライドは,成功体験だけで熟成するわけではないように思われる。おそらく逆境体験もまた,プライドを強くするためにはとても重要なものなのだ。

自分の心を見つめ直すということは,「思考する」ということを意味する。ともすると,逆境の夜,人は思考できなくなることがある。悩みが思考回路の障害物となり,展望が開けないまま,堂々巡りのように,思いがとりとめもなく同じ所を行き来することがある。要するに,思考停止状態である。
そうした思考停止を防ぐということも,プライドと関連性をもっている。
というのは,「役立ち種」のプライドは,「序列種」のそれのように優越感などの感覚によって形成されるものではなく,日ごろの行為とその前提となる思考によって織り成すものなので,日常からの思考習慣を重要な要素とするからである。平時の思考習慣は,危機時においても思考を停止させず,活発化させる作用をもつ。
停電時に備えてバッテリーの準備を怠らないことが必要なのと同様,平時から物事をよく考えて思考回路の通電を確保できるようにしておくことは,とても大切なことなのだ。
次回はその問題を少し考えてみたい。

16  誇りを育てる

 自己評価と他人からの評価との間で後者のほうが低すぎるというギャップがある場合を念頭に,プラス思考の技術を検討し続けている。
 前回,プライドという言葉は「支える」という文脈で用いるべきだという提案をした。普段「自分の意識をもって自分を支える」という考えを持つことは少ないかもしれないが,これはとても大切なことなのだ。
人生というのは山あり谷ありで,いい時期もあれば悪い時期もある。幸運や才能や努力によって他の人に比べて高いレベルで人生の昇降曲線を描くことのできる人もいるのだろうが,それにしたって人生を一度たりともがっかりすることなく過ごす人なんていない。どんな人だって失意に沈む夜がいくつもあるはずである。
苦しいときや悲しいとき,他の人に慰められて元気が出ることもある。そうやって励ましてくれる人が周囲にいるというのはとても幸福なことで,人は逆境で自分の恵まれた環境を知ることがある。そうした励ましを機縁に人生のカウンターアタックを展開するのも悪くない。
だが,廻りの心温かい人たちの力をあてにすることなく,そうした人たちがいなくても自分の心を強く保つことができるようにしておくという準備も,日ごろから怠ってはいけないのだろうと思う。これは,言ってみれば「心の危機管理」なのだ。
さて,前回は「プライド」という言葉で統一して表現したが,日本語では「誇り」,「自尊心」,「自負心」,「矜持」。
どの言葉にしても,良いニュアンスで用いられる場合と悪いニュアンスで用いられる場合とがある。後者は自分だけが尊いとか正しいというような趣旨で,「うぬぼれ」というような意味で使われる。
たとえば,「自尊」という言葉には,「自重して自ら自分の品位を保つこと」という意味の他に,「自ら尊大にかまえること」といった意味もある。
 自己の尊厳を保とうとする心理は,他者を見下そうとする心理と紙一重の所にあるということでもある。そして,ここが注意を要する点なのだが,どちらの領域からでも「プライド」は発生しうるのである。
われわれのテーマである「プライドで自分を支える」ということだけで考えてみても,一見,どちらの領域のプライドでも同じくらい役に立つように思えるが,はたしてそうだろうか。
自己評価と他人からの評価との関係をどう考えるかということは,自分と社会の関わり方に連なる問題であり,自分を社会の中にどう位置づけていくかという問題に関係する。この「位置づけ」ということが問題で,うっかりすると,安易に「位置づけイコール序列」と考えてしまいがちである。だが,人が社会と関わるときのテーマとして最も大切なのは,その果たす役割(role)や事に対応する姿勢(stance)であって,序列(rank)が重要なのではない。人はランク付けを受けるために社会にあるわけではない。社会に役立ち,そしてその役立ちの度合いについて社会から評価されて地位(position)を与えられ,自分の居場所をそこに見出すことが,幸福な人生の基盤になるのである(いうまでもないことだろうが,ここでいう社会への役立ちとかそれへの関わりとかは,職業的なことだけに限定して言っているのではない。家庭やコミュニティーで,スタンスを明らかにしつつそれぞれの役割を果たし貢献していくこともまた,社会に居場所を見つけるということである)。
うぬぼれや尊大は,自己の序列にばかり気を取られ,自分が社会にどういう役立ちをしていきたいのか,どう関わり,何をもたらしていくことができるのかといったことを忘れた人生態度に由来する。そのような態度に淵源をもつプライドも,あるいは一時であればその人の心を支えることもできるのかもしれない。負けず嫌い魂は,再挑戦に向かう意欲を掻き立たせるものだから。しかし,この種類のプライドは基本的に他者に勝利することのみを基盤とするので,敗北が決定的になったときに,結局はそのプライド自体が瓦解する。このため,そうしたプライドは,永くその人生を支え続けるだけの力をもつことはない。言ってみれば,それは順境用の思い上がりアイテムに過ぎないのだ。またそれゆえに,多分,そうした種類のプライドは,やたらと傷つきたがる性向を持つのだろうと思う。
 人は,心の中に,順境でも逆境でも変わることなく保たれるプライドを育てるべきなのだ。社会的ステータスや収入や学歴などといった「序列」に関わる思いが,そうした強いプライドに育つことは難しい。
プライドを植物にたとえるなら,その種苗に二種類がある。「序列種」と「役立ち種」と。前者は「うぬぼれ」というあだ花を咲かせる。自分を支えるためのプライドということで考えるなら,「尊厳」という果実を産む後者をこそ,心の畑に蒔き,丹精して育てるべきなのだ。

暦の根拠法令とは

 さて、職業とは無関係のうんちく話から始めたが、そろそろ法律の話と関わりを持たせるように努めることにしよう。
 前回触れたわが国における太陽暦の採用だが、法形式上は「太政官布告」という形を取っている。太政官(だじょうかん)というと単独の役職名を連想するが、明治政府の当初における最高機関(組織)である。慶応4年(1868年)4月(この年9月に明治に改元)に設置された後、たび重なる制度改革を経たが、終始行政と立法を束ねていた。
内閣制が発足するのが明治18年(1885年。このとき太政官制も廃止)、帝国議会が産声をあげるのが明治23年(1890年)である。
「太政官布告」という法形式は明治19年2月に廃止された。それまでは一般国民を拘束しうるものとして制度上存続していたのだが、従前の布告は、後でできる法令に矛盾しない限りその後も引き続き効力を有するものとされた(後日あらためて述べる)。
さて、太陽暦を採用した太政官布告だが、これは明治5年(1872年)11月9日に出されている。
われわれ法律家は、机の上かその周辺に分厚い六法全書を置いているが、どんなに分厚いものであっても持ちあげられる程度の本に納まっているのは法令全体からみればごく一部なので、そこに載っていない法律を探すために、法務省のウェブサイトにある「法令データ提供システム」には、頻繁にお世話になっている。インデックスページは、
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxsearch.cg
 そのシステムで簡単にアプローチできる。といっても、この太政官布告、旧仮名遣いアレルギーが比較的少ない者であっても何が書いてあるのかとまどうという代物ではある。

Pride

今回から,ブログの方で「プラス思考の技術」の連載を始める。週1回くらいのペースにする予定である。 

 今回のテーマとして,「プライド」を扱う。「誇り」と日本語で言えばよさそうなものだが,巷間,「プライド」に関してある種の表現が日常茶飯的に用いられているように思われ,そのこととの対比でその本来的役割を見つけ出してみたいと思い,あえて「プライド」という横文字をテーマに掲げることにした。
プライドという名詞から連想する動詞は何ですかと問われたら,どう答えるだろうか?私は,かなり多くの人が,「傷つく」と答えるのではないかという気がする。
「あの言葉で私のプライドを傷つけられた」とか,「今回の敗北で彼のプライドはずたずたに引き裂かれた」などという表現を頻繁に耳にする。
「プライドが傷つく」のは正常な事態ではない。もしも上記の私の推測が当たっているとするなら,「プライド」という言葉は,異常事態で,それも傷つけられるというマイナスの文脈で用いられることが多いということになる。
 プライドは,傷つけられるために心の中に存在しているものではない。少し考えれば誰でもわかるはずである。ところがもしも「傷つく」という以外の動詞をなかなか連想できなかったとすれば,それは,その人が,プライドの役割を,普段はあまり意識していないということを意味する。もっといえば,プライドに対して,みずから意識的に明確な役割を与えていないということになる。
もしそうだとすると,プライドという言葉は,その人にとって,主に負の局面で用いる言葉,つまり,基本的にはマイナス思考用アイテムになってしまっている可能性が強いということにもなる。
 プライドの本来果たすべき役割とはいったい何だろうか。
大枠の結論を先に言ってしまうならば,「その人の生き方を支えること」といっていい。
それは,プライドの力をもって自分の生き方を律し,誤った生き方をしないということである。そうした生き方を積み重ねていくと,その事実が,さらにプライドを分厚くしていく。そうした生き方をしてきた,そして今後もしていけるという自信こそが,落ち込みそうになったときに,その人の心を支えるのである。プライドの本分は,まさにプラス思考のアイテムなのだ。
 これがプライドの本来あるべき姿,果たすべき役割というものだろう。したがって,あるべき姿としていうなら,「プライド」という言葉に結びつくべき動詞は,「支える」,「保つ」,「律する」といったような種類のものでなければならないはずである。
事実としてプライドに結びつけて用いられがちな動詞が「傷つく」であるとしても,真のプライドというものは,そう簡単には傷つかない性質のものである。なぜなら,真のプライドとは,単純に本能や虚栄心から派生するものではなく,人生観をもとに形成されるものであり,信条・信念ということと結びつくものだからである。つまりプライドによって自分を律するということであり,逆に,そうして自分を律して行くことの積み重ねにより,自分は信念に従って生きてきたという自信が生まれ,そうした自信は,プライドに厚みや重み,強さを付け加えるのである。
 さて,プライドに明確に役割を与える場合には,さらに,もうひとつ忘れてはならないテーマが生ずる。それは,「プライドを形成する」ということである。
傷つくためだけのプライドならば,その内容がどのようなものであっても,傷つくということ自体は可能なので,それでなんら差し支えないわけである。それは,ただ心の中にありさえすればいい。極端にいえば,それが厳密にプライドである必要さえもなく,虚栄心のようなものであっても傷つくということはできる――むしろイミテーションのほうがより傷つきやすい――のである。虚栄心はともかくとしても,自分を守りたい,いい気分で過ごしたい,ただ格好をつけていたい,そうした,本能とそんなに違いのないものであっても,傷つくことだけはできる。だから,「傷つく」という文脈だけで考えるかぎり,「プライドを形成する」という問題はあまり気にならないということになる。
しかるに,自分の人生を支えるものとしてのプライドは,内容的に自分の人生観に沿ったものでなければ,その本来の役割を果たすことができないはずである。ここに,「プライドを形成する」という重要な問題が発生することになる。
 プライドをどうやって形成すべきかというのは,人生観そのもの,生き方に関わる大きな問題である。自分が何を信条とし,どういうふうに生きて行きたいかということと関係がある。次回にもう少し掘り下げてみたい。

太陽暦は明治政府の陰謀で突如導入された

ところで、日本では、中国に倣い、長い間太陰太陽暦が採用されてきた。鎖国を続けていた江戸時代に、オリジナルの中国の暦と現実とのずれが深刻なものとなり、日本独自の暦を作成することになる。そのことを描いたのが冲方丁(うぶかた・とう)氏の「天地明察」であるが、その話はまた別の機会に。
日本では、明治5年に太陽暦を採用し、明治5年の12月2日の翌日が明治6年の1月1日となった。つまり、明治5年の12月3日から12月30日までは、歴史上存在しない日、というわけである。これには裏話があり、それまでの暦(天保暦)では明治6年に閏月が入ることになっていて、1年13か月となり、公務員の給料を13か月分払わなければならないことになることに気づいた明治政府が、明治6年の給料を1か月分節約するために、急遽太陽暦を採用したのだと言われる。しかも、明治5年12月分の給料も支払われなかった。当初は12月自体をなくしてしまおうともしていたともいう。(11月が小の月だったので、元来29日で終わるはずのところを、その次の日を11月30日、その次を11月31日とし、さらにその翌日が明治6年元旦というように。)為政者の考えることは、常にかくのごとしかと感じてしまう。

太陰暦

暦の話を続ける。
 歴史上、多くの国家では、当初は太陰暦、あるいはその修正としての太陰太陽暦を採用していた。
 ローマにしろ、建国は紀元前700年頃というから、まず長い太陰暦(太陰太陽暦)の長い期間があって、その後にユリウス暦という流れである。 
 太陰暦は月の地球に対する公転周期を1か月とするところから考え始める暦である。月の満ち欠け(朔望月(さくぼうづき))は約29.530589日なので、1か月を30日(大の月)または29日(小の月)とし、12か月を1年とする。(12か月余りを1サイクルとして太陽の動きが繰り返されているということは認識されていたということだろう。)
 単純に掛け算すれば、1年は29.5の6倍354日となるが、朔望月の方は29,53いくつで余りを生ずるので、適宜閏日を挿入してつじつまを合わせる。つまり1年は年により354~355日となるが、これでも、地球の公転周期との間では、1年に10日余りずつ不足が生ずる。
 それを地球の太陽に対する公転周期とのずれが拡大しないようにと修正しようというのが太陰太陽暦である。どう修正するかであるが、365.252(地球の公転周期の近似値)÷29.531(月の地球に対する公転周期の近似値)≒12.368だから、1年12か月とすれば、年に約0・368月ずつの余りが生ずる。これに近い数値の分数を見つければよいわけで、19分の7がかなり近い(7÷19≒0.368421)。これを基礎にしたのが19年7閏法という方法で、紀元前433年にギリシャの天文学者メトンが発見したものである。中国でも同様の考え方で暦が作られている。つまり、19年に7回、閏月を設ける。
月の満ち欠けは目に見える現象であり、それを使って1か月という単位を画することから、人間にとってわかりやすい暦であるといえる。暦には、あらかじめ決まっていることこそが重要だという要素があり、多くの国で原初的に太陰暦を採用したことにはある程度納得できるものがある。
 しかし、自然を相手にする農業や漁業では、それでは困ってしまう。どのタイミングでどのような農作業を始めるのか、太陽との距離や日照時間が重要で、だからこそ先進国ローマでは太陽暦が採用され、それ以外の国でも、太陰暦にとどまらず太陰太陽暦が模索されたということだろう。しかし、太陰太陽暦では、同じ日付であっても太陽と地球との位置関係には数パターンあるわけで、従事者はその調整に苦労していたのではなかろうか。

実在しなかったのにエクセルが日付と認識する日

 ユリウス暦と実際の公転周期との差は、365.25-365.24220とすれば、0.0078日/年だから、1000年に7.8日ずれるということになる。
1000÷7.8≒128.2
つまり、約128.2年に1日がずれる、というわけである。
 ちなみに、2013年年央の太陽年は、約365.242189日とのことで、ウィキペディアの「グレゴリオ暦」ではこの数値を元に計算しているので、「ユリウス暦では128.03年に1日ずれる」旨記している。
 グレゴリオ暦採用に際しては1582年10月4日の翌日を10月15日とした上で、将来について、400年に97回の閏年を置くこととした。100の倍数の年は原則として閏年とせず、ただし400年の倍数の年は閏年とする。採用以後でいうと、1600年は閏年、1700年、1800年、1900年は閏年ではなく、2000年は閏年だった。今後でいうと、西暦2100年、2200年、2300年は、4の倍数であるにもかかわらず、閏年とはしないこととしている。
 このやり方では、1年の平均日数は、X={(365×400)+97}÷400と計算できるから、
X=365.2425日となる。公転周期(西暦1900年)の365.2422との差は0.00028日
これでも、1万年に3日ほど(2.8日)は,ずれる計算である。約3571年に1日。西暦5000年くらいには(今閏年とされる予定の年のうちで)閏年としない年を新たに決めることになるのかもしれない。太陽年は年々短くなっているので、実際にはもっと速まる可能性もある。まあ、私たちには関わりのないことだが。

 さて、マイクロソフトの表計算ソフトであるエクセルの日付は1900年1月1日から開始している(同日をシリアルナンバー1としている)が、エクセルで、セルにたとえば2100/2/29と半角入力すると、実際にはない日付であるため、この入力に対して日付とは認識せず、文字列と認識する。2000/2/29はもちろん実在の日であるから、日付と認識する。
 ところが、セルに1900/2/29と半角入力すると、なぜか日付と認識してしまう。マイクロソフトによると、
「Excel の日付システムは、他の表計算ソフトとの互換性を完全に満たすように定義されています。
しかしながら、この日付システムにおいて、1900年は事実に反して閏 (うるう) 年として解釈されています。」とのこと。
 わかったような、わからないような説明だが、要するに、1900年に関しては、事実と違う解釈が施されている(つまり間違っている)ということだろう。エクセルの日付のシリアルナンバーは1900年1月1日を1としている。同年1月、2月を起算日として2月29日以降にまたぐ日数計算は、グレゴリオ暦に従う正しい計算に対して1だけ過剰になる。

カエサルは偉かった

今からブログを始めようと思う。
 書きためたもの(プラス思考の技術)があって、それは事務所のHPへの連載用に管理者に全部渡してあり、それを掲載してくれれば1週間に1回として1年半は持つ分量なのだが、管理者が忙しすぎるらしく、4月以来更新がまったくなされていない。……ということに昨日気づいた。これでは意味がない。聞くと、更新手続は知識がないとちょっと難しいらしい。管理者に対してはあらためて喝を入れておくとして、自分の方では別個にブログを始めることにした。これならウェブの知識がない私でも頻繁に更新できる。
 第1回のテーマとして、プロ野球統一球問題に関する第三者委員会意見書に対する加藤コミッショナーの反論とか、みのもんたの朝ズバッ降板とか、トピックな話題も考えたが、最初から人を批判することになりかねないようなブログも書きたくない。
 なお、予め断っておくが、定期的に書くのは大変なので、かなり不定期になると思われる。ただ、幸い書きためた駄文があるし、管理者に渡したコンテンツも著作権は私にあるので流用する権限はある。それらを掲載することで、更新が余りにも長期間怠られる、という事態は回避するようにしたい。
第1回は、暦の話から始める。
 現在世界の主流は太陽暦を用いている。太陽暦は、地球の太陽に対する公転周期を1年とし、地球の自転周期を1日とする暦である。1年は365日と4分の1ほどであることから、4年に1度閏日(「うるうび」・又は「じゅんじつ」)を入れる。世界で最初に導入された太陽暦はローマ帝国のユリウス暦で、実施が紀元前45年というのだから恐れ入る。塩野七生氏の「ローマの人々」を読むと、ユリウス・カエサルはつくづく世界史上最大のリーダーだというように思えてくるが、太陽暦の採用だけでも偉大な業績であり、7月の洋名に名を残す(英語でいえばJuly)のも当然といえる。
ユリウス暦の前提は1年を365.25日とするものであったが、地球の公転周期が正確には365.25よりも小さいものであったことから、長い期間を経るうちに、暦と実際の春分日とのズレが生じた。この自然現象たる公転周期は、年ごとに変化する。1900年でいえば365・24220日だという。
1582年にローマ教皇グレゴリウス13世が改良して制定したのがグレゴリオ暦である。それまでに、10日以上のズレとなって実際上の不便を生じていたのを解消した上で将来に備える趣旨であった。

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