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第7 多少の紆余曲折

以上のように書くと、何もかも順風満帆に展開したかのように思われるかも知れませんが、多少の紆余曲折は経ています。

それは、当会と会津若松支部との間で、お互いが相手の立場を思いやった結果、アウトリーチ型支援が、実質上2週間ほどストップしたことです。というのは、5月第2週に新潟会の執行部や震災本部副本部長が会津を訪問して会津若松支部との間で今後の支援についての協議を行ったのですが、その話し合いの席で、7月以降の支援については拠点型とし、拠点については会津側が場所の選定や施設管理者との折衝を行い、新潟や関東十県会から相談員を派遣する体制に以降し、新潟が行ってきたアウトリーチ型支援については終了する、という合意がいったんなされたのです。震災本部副本部長としての本音を申しますと、まだまだ支援の手が届いていない被災者は相当数いると考えられたうえ、情報弱者や交通弱者など、アウトリーチ型による支援を継続する必要性は消滅していないと考えておりましたので、当該方式の支援の継続を考えておりました。

しかし、地元会のお考えを最大限尊重することが必要であること、二次避難所から仮設への避難が進んでいくとアウトリーチ型をいつかは終えて拠点型に転換する必要があることは間違いないこと、などに照らし、上記合意に際し強い反対を申し上げなかった経緯があります。当該合意に基づき、新潟会では6月中にできるかぎり大所の二次避難所は廻ろうということでアウトリーチを継続し、6月最終週をもっていったん終了となりました。なお、6月25日には、会津支部側が仕切られた学習会兼相談会があり、そこではなんと約500名の被災者が集まったという経緯もありました。

その後、7月の第1週に、当会執行部(多忙の中、執行部自らが拠点相談の相談担当者として出張)や連携班が再び会津支部と会談を開き、今後の支援について話し合った際に、新潟の連携班側から、恐る恐る「アウトリーチを継続することも可能であり、新潟として継続したい本音があります」旨お話ししたところ、会津側から、「それはむしろ願ったりかなったりです」という即答があり、協議した結果、7月第3週から当面の間ということで、再びアウトリーチ支援を再開することとなりました。

拠点型への転換・アウトリーチ型への移行については、あとでお互いの本音がわかってみると、お互いが相手の思いを慮って遠慮し合っていたということがわかりました。すなわち、会津側は、新潟にこれ以上負担をかけられないとの思いから、新潟にとって負担が軽くなる拠点型を提案し、逆に、新潟側は、他会の管轄地域に余りでしゃばりすぎては申し訳ないとの思いから、アウトリーチ型は会津が本音で望まないような活動ではなかろうかとの思いから拠点型に同意した、ということだったのですが、新潟にとってはアウトリーチ型に負担を感じていたということはなく、会津も、被災者・避難者のためになることなら、ぜひやってほしいというのが本当の思いだったということです。

O.ヘンリーの短編小説に、「賢者の贈り物」という有名なものがあります。貧乏な夫婦がクリスマスプレゼントに何を贈るかを考え、妻は夫の金時計に合う鎖を、夫は妻の長い髪に似合う髪飾りを贈りたいと思っていて、お互い貧乏だったために、妻は髪を切り、その髪を売って鎖を、夫は金時計を売って髪飾りをそれぞれ買い、相手にプレゼントした、という心温まる話ですが、アウトリーチ支援を巡る会津と新潟の思いの行き違いにも、そういう善意の交錯・行き違いという側面があったような気がします。

他会支援の際の気遣いの重要さと難しさ、微妙さを語るエピソードとして、あえて触れさせていただくこととしました。